立教大学の歩み

10月16日立教大学の教室を借りて、「はげみの会」を開催しました。その際、記念講演「立教大学の歩み」を立教学院展示館の、豊田雅幸様(学術コーディネーター・学芸員)に行って頂きました。その内容をまとめましたので、是非ご覧ください。我々母校の過去の歴史と未来について感慨深いものを感じていただけることでしょう。

≪立教大学の歩み:築地での誕生 ① ≫

(改革期を支えたリーダー達)

創立者ウィリアムズ(26歳頃)

1859年~1908年の50年にわたり日本での布教に献身

ウィリアムズと交流のあった人々

大学の歴史ですが、創始者であるウイリアムズさんは他の大学の創始者と異なり、あまり知られていない方です。アメリカ聖公会から布教のために派遣された宣教師で、自分の人生をすべてを日本にささげておられます。「道を伝えて己を伝えず」と交わった人たちが彼を表現しました。個人を表に出すことや後世に自分の名を残すことを嫌って伝記など書かないでほしいと言われており、歴史の教科書にはほとんど出てきません。しかし日本で多くの教会を作り業績をたくさん残しておられます。また日本の高杉晋作、前島密、や大隈重信は彼から英語を学んだり、等著名な方々と交流しています。本来ならばもっと歴史に残った方です。

ウィリアムズの後継者、マキム

「マキム」1893年~立教学院理事長、ウイリアムズの後継者

ロイド総理

「ロイド」1897年~立教学院総理、立教専修学校校長・現新図書館名称「ロイドホール」

初代学長・元田作之進

「元田作之進」1899年~立教中学校校長、1907年~立教大学学長

タッカー総理

「タッカー」1903年~立教学院総理。現「タッカーホール」名称

ライフスナイダー総理

「スナイダー」1912年~立教学院総理、1935年~立教学院総長

最初の校舎となったロングフェローの子息の邸宅

最初の校舎は東京築地の開市場内にあった、詩人のロングフェローの子息邸宅を借り受けて私塾「立教学校」を1874年(明治7年)開設。わずかな教師と生徒のこじんまりとしたスタートでした。

新たな校舎(六角塔校舎)

1896年(明治29年)「立教尋常中学校」と「立教専修学校」の2つに分かれました。翌年には「東京英語専修学校」が設置。新校舎と寄宿舎が築地の一角に建てられる。尚、認可を受けた学校での宗教活動が禁止され寄宿舎がその役割を果たしました。

≪ 新しい池袋キャンパスへ ② ≫

池袋近辺の地形図(1916年)

建設間もない本館・チャペル・図書館

1918年(大正7年)築地キャンパスが狭くなり、将来的な発展を考えて、大学を池袋へ移転。翌年にはレンガ校舎が落成。さらに、大学令のもと私立でも大学を設置できるようになり、1922年立教大学も正式な大学となりました。1923年(大正12年)の関東大震災で校舎も大きな被害を受けました。米国聖公会は直ちに支援の手を差し伸べ、校舎は2年のうちに修復されました。中学校も築地から移転しました。

建設間もない食堂・寄宿舎

関東大震災による被害

≪戦時下の立教≫

立教大学での学徒出陣式

1943年(昭和18年)には学徒出陣が行われ、立大生も一斉に戦地へ送られました。

戦死者名を刻んだタブレットの除幕式

校庭での軍事教練

明治神宮外苑競技場で出陣学徒壮行会が挙行されましたが、十字架がデザインされた校旗を持つことが許されず、急遽白い旗を掲げました。立教学院では戦死した関係者のために慰霊祭を開催しました。現在タブレットがチャペルの左側に掲げられています。

≪ スポーツシーンで活躍する立教雄姿達 ③ ≫

バスケットボール部の黄金時代

立教バスケ部が花形。日本のバスケットを牽引する

水泳部・斎藤巍洋選手のパリオリンピック出場(1924年)

水泳部の斎藤選手がパリオリンピックで6位入賞する

六大学野球初優勝(1931年)

六大学、野球部が初優勝し翌年アメリカ遠征を3か月間しベ-ブ・ルース等と会う

日本初のアメリカンフットボールの公開試合(1934年)

ポール・ラッシュ経済学部教授が、日本の立教他大学に導入

箱根駅伝への出場

駅伝部は1920年創部。1934年15回大会から出場:総合11位。最高順位は1957年33回大会で総合3位。1968年44回大会を最後に、2023年の大会が55年ぶりの出場となる

水泳部のベルリンオリンピックでの活躍(1936年)

水泳部の選手がベルリンOPで初めて金メダルを獲得する

山岳部のヒマラヤ初登頂(1936年)

立教山岳部が日本で初めてヒマラヤ登頂を果たす

六大学野球4連覇

1958年には長嶋・杉浦・元屋敷らの活躍で、4連覇を達成、最強時代を築く

≪ 戦後の復興から現在へ ④ ≫

女子学生の登場

男子校から、戦後初の女子学生の入学を開始する

新制立教大学の募集広告(『立教大学新聞』1949ネ年2月1日)

・1949年新制立教大学発足。文学部・経済学部・理学部が設置される。
・1955年に文学部に社会学科(名称変更)
・1958年に社会学部開設
・1959年に法学部開設
・1964年に産業関係学科設置
・1967年に観光学科設置

5号館・6号館完成後のキャンパスの様子(1959年)

1959年5・6号館建設、法学部開設

高等学校移転時の新座キャンパス(1960年)

池袋キャンパスが手狭になり高校がまず移転する。1990年には大学キャンパスが開校

大衆団交の様子

1969年「立大紛争」起こる。学生達と話し合いで解決するという姿勢を大切にするとタッカーホールで大衆団交が行われる
・1995年一般教育部解散
・1997年全学共通カリキュラム発足
・1998年新座キャンパスに観光学部、コミュニティ福祉学部開設・2002年社会学部に現代文化学科設置
・2006年経営学部が開設され、産業関係学科は経営学科に統合。社会学部にメディア社会学科を設置
・2008年異文化コミュニケーション学部開設

立教大学の現在の取り組み

・2016年新しい学びのスタイル「RIKKYO Learning Style」スタート。将来なりたい自分を描 き、その目標に向かって自律的に学びを進める新 たな学びのスタイル。リベラルアーツの再確認、 リーダーシップ教育、グローバル教養、語学教育、 海外プログラム、サービスラーニング(社会経験) など多種多様な学びを用意。キャリア教育にも力 を入れる「就職率97.4%」

≪立教大学の未来 ⑤ ≫

学院創立150年に向けて

2015年に立教大学は、2024年の創立 150周年に向けた中長期ビジョンを策定 「RIKKYO VISION 2024」を発表。ありた い姿を実現するために3つのバリュー「① 自分を拓く、②世界を拓く、③未来を拓く」 を設定。また今後10年後「Lead the Way」として広く活躍できる真の国際人の 育成を目指します。

学院創立150年に向けて

学院創立150年に向けて

2022年10月、箱根駅伝予選会で総合6位。55年ぶり箱根へ復活出場決定

学院創立150年に向けて

立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センターは2006年に設立。貴重な文化遺産の次世代への継承を目指す

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